プログラムノート|『shuffleyamamba:山姥は熊を夢見る』

山姥(やまんば)の山巡りを描いた能の演目『山姥』(世阿弥作)から着想を得て『shuffleyamamba』の制作にとりかかったのは、今から6年を遡る2015年のことだった。本作はシリーズとして第2作目となる。

 

本作のコラボレーターは、作曲家でボイスパフォーマーのゲルシー・ベルだ。実験音楽の領域で活動しながら民族音楽の学者でもある。ゲルシーによると能の山姥は、夫や恋人、息子などの男性を一切伴わずに登場するキャラクター、つまり、インディペンデントな「女性」として物語に登場するという意味で非常に珍しいそうである。作者の世阿弥さんは、もしかしてフェミニストなのかもしれない。

 

日本にはその昔、芸能をしながら山を旅する傀儡女(くぐつめ)と呼ばれる女性の芸能集団がいたそうだ。山姥はこうした日本の女性芸能者の元祖と思われる。この、日本の女性芸能者の歴史にフォーカスをあてて制作したのが、『shuffleyamamba』の第1作目であり、兵庫県豊岡市にある永楽館にて、城崎国際アートセンターの主催公演として2019年に上演した。今回上演する作品は、この第一作目の続編となるはずだったが、予期せぬ方向へとクリエーションは進んだ。

 

私の山姥への愛着は、私自身の生い立ちや背景によるところが大きい。不老不死の山姥が抱える生への矛盾、これは、人間の根源的な欲望と不安でもある。生と死のはざまに起こる、ゆらぎやあいまいさに作者世阿弥の着眼点がある。山姥は、生と死を同じ時間軸で見ている。そこに私は魅力を感じる。

 

1980年代より、NYという大都会に40年近く住んでいた私にとっての自然とは、残念ながら山や海ではなく、人の死がもっとも近い。死は自然の摂理において絶対的な事実であり、避けられないものだ。9.11のテロや3.11の東北の大地震を実際にNYや東京で直接身体で体験したときに感じた、死はすぐそこにあるという感覚は、自分が幼いころから常に感じていた感覚となんら変わらない。生まれ育った広島で、幼い頃から聞かされてきた周囲の大人によって語られる戦争と原爆の話。そして、戦時中に母が働いていた毒ガス工場は、林間学校で毎年夏訪れた瀬戸内海の小さな島にあった。無造作に残されていた毒ガスタンクの存在は、幼い目に死の感覚を視覚化してくれた。

 

私にとって死は幼いころからすぐそこにあるものだった。私の母方の家族はほとんどが海の事故で亡くなっている。一度も会ったことのない家族にチャネリングしながら踊るというソロダンスが本作品の着火点となった『SHUFFLE』(2003年作)である。この18年前に踊った『SHUFFLE』と、『山姥』をシャッフルする、というのが『shuffleyamamba』のクリエーションのはじまりなのである。

 

死を思うとき、夢を見る感覚とそれはどこか似ている。現実と非現実の境界があいまいな感覚を内的に持つ人は多いだろう。夢を見る体は、死が訪れる瞬間を生きているままに体感することができる。本作の出演者のひとり、新井海緒さんの美しい夢の話しを聞きつつクリエーションに没頭していき、自身の幼い頃の記憶を辿っていくと、鏡を見ている自分と、鏡が見ている自分を描いた夢の話にたどり着いた。そして、山姥が見る夢には熊がいて、その夢の中に現れる熊も山姥の夢を見ている。本作の輪郭はそのように立ち現れてきた。

 

能の世界では、「複式夢幻能」という変幻自在にさまざまな時空を行き来する手法がある。過去、現在、未来が自由に錯綜する夢の世界は、ダンスを立ち上げるには格好の遊び場である。そして元来、抽象を扱うコンテンポラリーダンスはこうした取り組みと相性がいい。しかし、「許されざること」について、厳しく統一された約束事にあふれている世界と、「なんでもあり」の多様性と雑味性を愛好する世界は、そもそも相容れないのである。コンテンポラリーダンスの振付家が、伝統芸能の型や美学をダンス作品に取り入れようとすると自ずと矛盾を孕んだプロセスとなる。しかし、夢の中であれば全てはシャッフルされ、同時多発的にバラバラの事象を起こすことができる。

 

本作では、観世流の能『山姥』における仕舞と謡を引用するとともに、清元『山姥』の、六世藤間勘十郎による日本舞踊の振付を引用している。これらの能と日本舞踊の形式を横断する引用により、半身(はんみ)と言われる能における男性性を強調する型と、日本舞踊特有の女形の型を相互に交差させ、ジェンダーのゆらぎを生み出すことを、コンテンポラリーダンスの身体性において挑戦してみたかった。

 

しかし、伝統芸能の型を真似ることは非当事者にとっては至難の技である。既存の何かを破壊することはコンテンポラリーダンスが得意とすることころではあるが、訓練の本質と厳格さを知れば知るほどに安易な破壊は難しい。コンテンポラリーダンサーが伝統芸能にアクセスできるオルタナティブな可能性について、出演者と共に様々な考えを巡らせた。伝統芸能の当事者ではない人間が、型に宿る美学や魂を、伝統の世界の外側にいながら継承することは果たして可能なのか。本作はそのような試みでもあった。

 

日本の伝統芸能には、「私」を軸としない視点、つまり、身体は単なる容れ物であり、器としての身体が宇宙(神)とチャネリングするのだという呪術的な身体観がある。一方で、個人が何かを表現することに長時間を費やし、筋力と可動域の鍛錬と開発を続ける西洋ダンス界の美学を対置すると、両者は対極にある。同時に、アメリカのダンスの歴史における革命児たち、すなわち、ジャドソングループが1960年代に登場して以降のダンスには、見せつけない身体、飾らない身体、日常的な身体の先で、上記の自己滅却的な身体の視点と重なるところがあると両方の訓練法を通して実感した。

 

本作品のアドバイザーとして惜しみなく協力してくださった能楽師の田茂井廣道師、そして、2003年から2013年の10年に渡りご指導くださった日本舞踊の師匠、世家真真澄師、世家真嘉世師に、この場を借りて深く感謝を述べたい。

 

コロナ禍の国際共同制作は過酷であり何度も頓挫し、世の中の数多くの舞台関係者と同じく、苦労に次ぐ苦労の連続であった。最後までクリエーションに力を尽くしてくれた、キャストに心から感謝したい。遠く離れていても、会えなくても、海を越えての共同制作が可能なことをゲルシーと発見できたことを誇りに思う。

 

 

余越保子